僕はインドへ帰ってきた

元バックパッカーのインド・ムンバイ&チェンナイ駐在ブログ

運命は変えられる いや変えられない さてさてどっちかね

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今日は日本では国立大学の2次試験日だそうだ。
私は加法定理証明世代なのですが、17年経ってもあまり日本の受験制度は本質的には変わっていなさそうだ。
 
元々海外など全く縁がない生まれで、私は大学2年の末までパスポートなかったのです。
まさかバックパッカーでインド3か月行くとか、中国やインドで働くなんて高校時代に(いや、大学入っても)考えてもいなかった。
「帰国子女」という単語も大学に入ってから初めて知ったくらい、周りに海外畑の人は居なかった。
20年前の自分が「君は将来インドで働くことになるんでヨロシク!」と言われたら
(何か悪い夢でも見たのだろう。。。)とふて寝したに違いない。
 
〔これまでの栄光の人生〕
 中途半端に算数は出来たので医者になりなさいと洗脳を受ける
⇒高校数学分かんなくて挫折。ていうか医学部って遊ぶ暇ないらしい
⇒じゃあ早稲田面白そうだから東京に。バックパッカー遊びにハマる
⇒余裕かましていたら就職留年
⇒猫を被り、なんとか就職に成功
⇒大学5年生は人生で最もパラダイスな1年だったので、夏休みにインドへ
⇒中国で働いたりもしたけれど、やっぱりインドが忘れられずに希望したら運命の地へ
 
という人生なのですが、もうちょっとオツム良かったり、努力家だったり、要領良かったりしたら、
違う人生だったのだろうなあ、と思う。留年していなかったら少なくともインドには来ていない。人間万事塞翁が馬。
(2年連続2回目の出場となった就職活動の時はエンジニアリング会社にも内定を頂戴していたので
 そちらに入っていたらどんな社会人生活だったのだろう、と今でも時折思うことはある)
でも、スムーズに人生を過ごしてきて、突然「君はインド赴任ね」と言われようものなら、
「俺は欧米拠点に行けなかったルーザードック」とブツブツ言いながら、早期の任期終了を祈っていたかもしれない。
 
この地で生活していると、自らの運命に逆らおうとせず、
与えられた環境で人生を過ごしていこうとする人に囲まれる。
「諦め」「妥協」とは違う雰囲気だ。
 
「足るを知る者は富む」という老子の言葉を知っているインド人は殆ど居ないと思うが、
今や中国はこの言葉とは正反対の社会になった一方、敵対的なインドでこの言葉の雰囲気で人々が生きているのが興味深い。